子供を教育する場合
道徳的にも問題があると
怒りますか?叱りますか?
例えば
廊下で走ってはいけないと何度も注意をしている。
それでも、辞めずにとうとう友達と鬼ごっこを始めた
注意をしても「うるさい!」と反論される。
イライラのフラストレーションがたまってくる…。
「感情」と「理性」のどちらが先に表に出るか
先ほどの例にさらに追い打ちをかける
「やめなさい!」と強い口調で注意をするが
強い声で畳みかける
「うるさい!」
いらいらは止まらない…。
「ガシャーンというガラスが割れた音」
そのとき
あなたはどのように注意しますか?
①「走るなと言ったではないか!」
②「ケガしてないか⁉」
「相手の思いに寄り添えるか」が鍵となる
①の選択肢と②の選択肢の違いはどこにあるでしょうか?
①は自分中心
②は相手中心
つまり自分を中心に感情を表にして相手に注意しますか?
自分を中心に感情を表に出すと「怒る」
相手を中心に感情を表に出すと「叱る」となる
言葉で「怒る」と「叱る」を使い分けるのではなく「気持ち」で使い分ける。
①「走るなと言ったではないか!」
としても
相手のことを中心に思うとどうだろうか?
叱るになると思いませんか?
自分の子供に注意するとき
子供の気持ちに寄り添って注意してみませんか?
「怒る」から「叱る」に代わり気持ちに余裕を持った一日に代わるのではないでしょうか?